生活

乳がん治療の歴史

~世界初! 乳がんの麻酔手術は 江戸時代の日本~

世界で初めての全身麻酔手術は、江戸時代の日本で行われた乳がん手術でした。
当時の乳がん治療とは?全身麻酔が誕生するまでの物語とは?
麻酔薬を開発し、世界発の手術を執刀した日本人医師、華岡青洲(はなおかせいしゅう)の話を中心にご紹介します。

世界最古の全身麻酔下の手術は日本で行われた!

1804年11月14日、世界で初めて全身麻酔下での外科手術を成功させたのは、日本人医師の華岡青洲(1760~1835)でした。この手術の患者は藍屋勘(あいやかん)という名前の60歳の女性で、乳がんを患っていました。ヨーロッパにおいては、当時から麻酔を用いず乳がんの手術が行われていましたが、日本では患者に命の危険があるとされ行われてはいませんでした。

青洲はヨーロッパの治療法を知り、日本でも乳がんの手術をしようと考えました。しかし、がんの全摘出には乳房を大きく切除する必要があり、患者の痛みを和らげる麻酔が不可欠。そこで青洲は自身が開発した通仙散(つうせんさん)という全身麻酔薬を使って勘を手術し、見事乳がん摘出に成功したのです。残念ながら、青洲の手術の4カ月後、勘は亡くなっていますが日本医療の大きな飛躍の一助になったのは間違いありません。

アメリカの歯科医ウィリアム・モートンが、近代麻酔の始まりと言われる吸入麻酔の公開実験を成功させて世に知られたのが1846年のことですが、その約42年も前に、青洲は全身麻酔を導入していたことになります。

母と妻の犠牲の上に完成した麻酔薬

青洲の父親は村医者でした。そのため、青洲は幼いころから、父が麻酔を用いずに患者の治療をする様子を見ていました。痛みに苦しむ患者の姿を見ながら、何とかできないものかと悩んでいた青洲の気持ちが想像できます。

1782年、22歳の青年だった青洲は医療が盛んだった京都で、漢方とオランダ流の外科を学んでいました。1774年に杉田玄白の『解体新書』が刊行されており、オランダ流の医療は日本でも学べました。青洲は麻酔薬を用いないヨーロッパの医療の限界を感じていましたが、ちょうどその頃、医学書で華陀(かだ)の麻酔薬「麻沸散(まぶつさん)」に関する記述を読みます。そして、これをきっかけに青洲の麻酔薬開発の研究が始まったのです。

青洲が開発した全身麻酔薬は「通仙散」と呼ばれ、主成分は曼荼羅華(まんだらげ)(別名チョウセンアサガオ)、他にトリカブト、川(せん)きゅう、当帰(とうき)、白芍(びゃくし)など十数種類の薬草が配合されていたようです。「通仙散」開発は決して容易ではなく、誕生までに約20年の歳月がかかったと言われています。

開発の過程では動物実験が何度も重ねられていましたが、実際の人間に使用して成果が得られるか確かめるためには、最終的に人体実験が必要でした。危険な実験の実験台には、青洲の母於継(おつぎ)と妻加恵(かえ)が自ら協力を申し出たと伝えられています。しかし、母は死亡、妻は失明という大きな犠牲を払うことになったのでした。

このことが表しているように、麻酔の取扱いには危険が伴いました。「専門的な知識や技術を持たない者が使用すれば、命を落とす人が続出する。」そう考えた青洲は、「通仙散」の処方を秘密にしました。弟子にも誰にも口外しないよう約束させる徹底ぶりでした。

現在の麻酔は、麻酔薬を注入したりガスを吸わせるなどして使用しますが、青洲の麻酔は飲み薬でした。そのため、薬が効き始めて実際に手術ができるようになるまで約4時間と、かなりの時間がかかり、得られる効き目も浅いものでした。
医療が発達し、より大がかりな手術が求められるようになったことで、幕末から明治維新の頃に新しい吸入麻酔のエーテルが伝わってくると、青洲の麻酔法は衰退していきました。

今につながる、青洲が乳がん治療に起こした革命

世界最初の、全身麻酔下による乳がんの手術に成功した後、青洲のもとには全国からたくさんの乳がん患者が訪れるようになりました。青洲の乳がん患者に関する情報を記録した「乳巌姓名録(にゅうがんせいめいろく)」によれば、手術した数は152名で、そのうち33名の経過が明らかにされています。

手術後の生存期間は平均2~3年(最短8日、最長41年)。
当時は現在のような検査技術がなかったため、乳がんがわかるのは見たり触ったりしてわかるようになってから、つまりかなり進行した後でした。そのことを踏まえれば、青洲の手術は確実に成果を生んでいたと言え、日本の乳がん治療に革命を起こしたことは間違いありません。

手術方法としても、青洲は現代につながる手法をとっていました。自身が考案したメスやハサミを使った、がんだけを乳房から摘出する手法は、今で言うところの「乳房部分切除術」と呼ばれる方法の基礎と言えるでしょう。

こうして麻酔技術の進歩は、患者と医師双方を苦しみから解放し、医療の発展に大きな役割を果たしたのです。

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